大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高知地方裁判所 平成3年(ワ)67号 判決

原告

田村榮子

田村文雄

右両名訴訟代理人弁護士

兼原告

田村公一

原告ら訴訟代理人弁護士

小原健

駒場豊

吉澤雅子

被告

医療法人近森会

右代表者理事長

近森正幸

右訴訟代理人弁護士

行田博文

主文

一  被告は、原告田村榮子に対し金一四七二万八五九四円、原告田村公一及び同田村文雄に対し各金一〇八二万二〇〇九円及び右各金員に対する平成元年八月三一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの、その余を被告の負担とする。

四  この判決一項は、仮に執行することができる。

事実

第一  請求

被告は、原告田村榮子に対し三〇一九万一七九四円、原告田村公一及び同田村文雄に対し各一五〇九万五八九七円及び右各金員に対する平成元年八月三一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (事故に至る経緯)

田村廣(大正七年八月一日生。以下「廣」という)は、平成元年八月一〇日に下半身不随のため被告の経営する高知市内の近森病院に入院した。廣は、同月一四日には、左足は動かすことができたものの、右足は全く動かせなくなり(右下肢麻痺)、同月一八日には左下肢も麻痺に陥った。また、腰から下は無感覚であって、尿はゴム製の管(カテーテル)を使って導尿し、大便はいつの間にか排便しているという状態でおむつを当てていたが、上半身には全く異常がなく、意識もはっきりしていた。廣の右症状について原因は不明であったが、廣は持ち前の明るい性格を発揮し、闘病に意欲を燃やしていた。

2  (事故の発生)

廣は、平成元年八月三一日午前五時二〇分ころ、入院していた近森病院北館四階の病室(六人部屋。以下「本件病室」という)の南東側窓(以下「本件窓」という)から地面に転落し、頭蓋骨骨折等によりそのころ死亡した(以下「本件事故」という)。

なお、このように転落した状況については、次のとおりである。すなわち、本件窓は地面から一〇メートル余りの高さがあったが、その窓枠と廣のベッド(上半身部分を斜めに起き上がらせることができた。以下「本件ベッド」という)との高低差はほとんどなかったのに、本件ベッドは右窓枠の下に縦方向を壁に接着して配置され、ベッドの窓側の手すりも取りはずしてあり、本件窓にも格子や手すりは取り付けられていなかった。廣は本件ベッドの上で、下半身不随のためベッドのさくに取り付けてあったさらしを補助具として上半身を起こすなど体位を変えた際、あるいは、本件窓のカーテン又は窓ガラスを開けるなどの何らかの動作をしようとした際に、バランスを崩し、本件窓の外側の方向に弱い力が働いた状態で、ベッド上から本件窓の外に飛び出した。そして、頭部がやや下になった水平位で、やや左側面を下にしたうつぶせに近い状態で転落し、両手は顔をかばうようにして、建物から1.9メートル離れたところ(コンクリート地面あるいは溝をおおう鉄板)に着地したものである。

なお、次のとおり、廣が本件窓から落下して死亡した原因は自殺によるものではない。すなわち、下半身不随の廣が飛び降り自殺をした場合には、どのような方法をとったにせよ、建物に沿って落下するはずで、これから1.9メートルも離れた地点には落下しないはずである(本件窓の下の外壁には廣の体が接触して落下地点を変えるような障害物はない)。また、廣の死体の損傷は、前記のような落下態様を裏付けるものであるとともに、飛び降り自殺をした場合のそれには合致しないばかりか、廣が両手で顔や頭をかばう動作をしていたことを示しているのである。さらに、精神面からも自殺の兆候はうかがえない。廣の発病は平成元年八月初旬のことでありこれからまだ一か月もたっておらず、両下肢麻痺、排尿障害等の症状の原因は不明であったが、諸検査の結果、懸念していた腫瘍がないことが判明し、廣は次の検査に期待をかけていた。友人、知人の見舞いもしばしばあり、孤独、疎外感はなく、食欲や睡眠も良好で、ベッドのさくに結んださらしを使用するなどして可能な限り介助なしで動作をしようとし、導尿も自分でできるようになり、闘病への意欲がみられ、携帯ラジオ等を買い求めて趣味のクラシック音楽等への関心もおう盛であり、情緒的にも安定していた。

3  (責任原因)

本件事故は、次のとおり、被告の占有する近森病院の建物の設置もしくは保存の瑕疵によるものであり(民法七一七条一項)、また、廣と被告との間に廣の入院に際して成立した医療契約における安全配慮義務違反の債務不履行に基づくものである(民法四一五条)。

およそ、人の生命、健康を守ることを目的とする病院においては、その入院患者の生命、身体の安全を確保すべき義務があり、この理は物的設備の面においても妥当する。

これを本件についてみると、廣は体が不自由であったのであるから、ベッドは窓から離れた位置に配置し、窓には格子や手すりを設置し、ベッドのわきには手すりを取り付けて、このような患者がベッドから窓の外に転落しないように設備を整えておくべき義務が被告にはあった。ことに本件事故当時は、夏期であるにもかかわらず、夜間には冷房装置のスイッチが切られてしまい、かつ、失禁すると臭気が室内にこもるため、窓が開放されることが常であったから、なおいっそう右の必要性は高かった。ところが、本件事故の際の状況は、本件ベッドと本件窓の窓枠との高低差がほとんどなかったのに、本件ベッドは右窓枠の下に縦方向を壁に接着して配置され、ベッドの窓側の手すりも取りはずしてあり、本件窓にも格子や手すりは取り付けられていなかったのである。

したがって、被告は右義務を怠ったものというべく、本件ベッド付近の状況は病院が通常備えるべき安全性を欠いていたものであり、また、被告は安全配慮義務を怠ったものである。

4  (損害)

(一) 本件事故により発生した損害は、次のとおりである。

(1) 死亡による逸失利益

二三二五万七一三三円

廣は関西大学中退で、死亡時七一歳であったから、七一歳の高卒男子の平均年収三一九万四五〇〇円(平成元年賃金センサス)で、平均余命一二年(平成元年簡易生命表)の二分の一である六年間は就労することができた。

また、廣は老齢厚生年金を年一五四万二九〇〇円、普通恩給を年四六万三二〇〇円受給しており、平均余命の一二年間はこれを得ることができた。

そこで、生活費控除率を扶養家族である妻の原告田村榮子(以下「原告榮子」という)がいることから収入の三分の一として、新ホフマン係数により中間利息を控除すると、廣の死亡による逸失利益は標記の額となる。

(2) 死亡による慰謝料

原告榮子 一五〇〇万円

原告公一及び同文雄 各七五〇万円

以上の諸事情に加えて、廣の長男である原告田村公一(以下「原告公一」という)は被告理事長と高校の同期生であったから、とくに同人を信頼して廣の診療を被告にゆだねたにもかかわらず、本件事故後、被告は自らの責任を回避するため、さしたる根拠もないのに廣は自殺したものと断定し、遺族に対してその根拠や本件事故の状況を具体的に説明しないことからすると、廣の死亡により原告らの被った精神的苦痛は筆舌に尽くしがたいものがあり、これを評価すると、原告榮子につき一五〇〇万円、原告公一及び廣の二男である原告田村文雄(以下「原告文雄」という)につき各七五〇万円とするのが相当である。

(3) 葬儀費用 一二〇万円

原告らは、廣の葬儀費用として標記の額の支払を余儀なくされた。

(4) 弁護士費用 五九二万六四五四円

(二) 原告らは、廣の相続人として右(1)(3)(4)の損害賠償請求権を妻の原告榮子が二分の一、長男の原告公一及び二男の原告文雄が各四分の一の割合で承継した。

5  (訴訟物)

よって、原告らは、被告に対し、民法七一七条一項ないし民法四一五条の損害賠償請求権に基づき、請求欄のとおりの金員及びこれに対する遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(事故に至る経緯)について

廣が持ち前の明るい性格を発揮して闘病に意欲を燃やしていたことは知らないが、その余は認める。

2  請求原因2(事故の発生)について

廣が原告ら主張の日時に本件病室の本件窓から地面に落下し、頭蓋骨骨折等によりそのころ死亡したこと、本件窓は地面から一〇メートル余りの高さがあったこと、本件ベッドは上半身部分を斜めに起き上がらせることができるものであったこと、本件ベッドは本件窓の窓枠の下に縦方向を壁に接着して配置され、ベッドの窓側の手すりも取りはずしてあり、本件窓にも格子や手すりは取り付けられていなかったことは認め、その余の事実は否認する。

右事故は廣の飛び降り自殺によって発生したものである。すなわち、本件窓の空間部最下点は本件ベッドのマットの上端から一八センチメートルの高さがあったが、下半身麻痺の者がその意志によらずにこのような障害を乗り越えることは物理的に不可能である。また、廣の精神面については次のとおりである。すなわち、廣は下半身麻痺等に陥りその原因も不明な状態であり、事故直前には極度の不眠状態にあったもので、このような状況におかれていた人間が発作的に自殺することがありえないか疑問である。

3  請求原因3(責任原因)について

被告が近森病院の建物を占有していること、廣の体が不自由であったこと、本件ベッドは本件窓枠の下に縦方向を壁に接着して配置され、ベッドの窓側の手すりも取りはずしてあり、本件窓にも格子や手すりは取り付けられていなかったことは認め、その余の事実は否認し、法的評価は争う。

4  請求原因4(損害)について

廣の年齢及び相続関係の事実は認め、その余は争う。廣は本件事故当時、原因不明の下半身麻痺の症状を呈しており、平均年収はもちろん収入自体を得られる状態ではなかった。

三  抗弁

1  (過失相殺)

本件事故の発生には廣の次のような過失も原因となっている。すなわち、廣が本件窓を開けた点、看護婦の度重なる注意にもかかわらず就寝しなかった点、転落の危険を作出、増大させる体勢をあえてとり、これが本件事故の決定的原因である点、このような体勢をとらないように看護婦を呼ぶことができたのに呼ばなかった点に廣の過失があり、その過失割合は八〇パーセントが相当である。

2  (損害の填補)

(一) 原告榮子が平成元年九月から平成七年二月一五日(口頭弁論終結の日)までの間に受給し、又は受給することが確定した年金額は次のとおりである。

(1) 遺族厚生年金 五三六万六九〇〇円

(計算式)

九七万五八〇〇円×六六月÷一二月

(2) 恩給扶助料 二四七万六一〇〇円

(計算式)

四五万〇二〇〇円×六六月÷一二月

(二) 原告榮子は右(1)の遺族厚生年金を受給することになったため、自己の老齢厚生年金額を年一六万八六五〇円減額された。この減額分は右期間を通算すると、九二万七五七五円となる。

(計算式)

一六万八六五〇円×六六月÷一二月

(三) 以上によると、原告榮子の損害填補額は、六九一万五四二五円となる。

(計算式)

五三六万六九〇〇円+二四七万六一〇〇円−九二万七五七五円

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(過失相殺)について

抗弁1の事実は否認する。①廣が本件窓を開けたとする点については、その可能性はあるが、酷暑の最中、狭い六人部屋で冷房が切られていたうえ、当夜には廣の失禁や便汚染があって臭気が室内に充満していたことがうかがえるのに、病院側は本件窓をロックせず患者が自由に開閉できる状態に置いていたものである。②廣が就寝しなかった点については、廣は尿意があるのに排尿できず苦しみのため眠ろうにも眠れなかったのであり、これを患者の過失に帰するのは酷である。③廣が危険を作出、増大させる体勢をとったとする点については、廣は下半身不随で当時「不穏化傾向」もみられたのであるから、体の動きを予想して的確な動作を要求することには無理がある。④看護婦を呼ばなかった点については、次のとおりである。すなわち、当夜廣は尿意があるのに排尿できないため頻繁にナースコールを繰り返していたが、この点に対する処置がとられないまま、午前三時四五分ころに、廣に不穏化傾向が出ていることが分かっているはずの看護婦から、夜も遅いから寝るように、六人部屋で他に迷惑がかかる、車いすはベッドの側においておくからなどと言われて、以降はナースコールを断念している。そして、廣は尿意に苦しみながら、看護婦の言に従い、就寝中の周囲に気兼ねし、何とか眠ろうとしていたものである(それでも我慢できなくて、一人でベッドから降り車いす上で導尿しようと必死にもがいていたことがうかがえる)。

2  抗弁2(損害の填補)について

抗弁2の事実は認める。しかし、遺族厚生年金や恩給扶助料を損害の填補として控除すべきであるという法的主張は争う。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1(事故に至る経緯)について

次の事実は、当事者間に争いがない。すなわち、廣(当時七一歳)は、平成元年八月一〇日に下半身不随のため被告の経営する高知市内の近森病院に入院し、同月一四日には右足は全く動かせなくなり、同月一八日には左下肢も麻痺に陥り、腰から下は無感覚であって、尿はカテーテルを使って導尿し、大便はいつの間にか排便しているという状態でおむつを当てていたが、上半身には全く異常がなく、意識もはっきりしていた。廣の右症状について原因は不明であった。

二  請求原因2(事故の発生)について

1  争いのない事実

次の事実は当事者間に争いがない。すなわち、廣は平成元年八月三一日午前五時二〇分ころ、本件病室(六人部屋)の本件窓から地面に落下し、頭蓋骨骨折等によりそのころ死亡した。本件窓は地面から一〇メートル余りの高さがあったが、廣の寝ていた本件ベッド(上半身部分を斜めに起き上がらせることができた)は本件窓の窓枠の下に縦方向を壁に接着して配置されており、ベッドの窓側の手すりも取りはずしてあり、本件窓にも格子や手すりは取り付けられていなかった。

2  事故原因についての当事者双方の主張の要旨

そして、右事故原因について、原告らは、次のとおり、廣が何らかの動作中に体勢を崩して転落した旨主張する。すなわち、下半身不随であった廣は窓際に窓枠とほとんど高低差のない状態で設置された本件ベッドの上で、ベッドのさくに取り付けてあったさらしを補助具として上半身を起こす、あるいは本件窓のカーテン又は窓ガラスを開けるなど何らかの動作をした際にバランスを崩し本件窓の外側の方向に弱い力が働いた状態で、ベッド上から本件窓の外に飛び出した。このことは、廣が着地した地点、死体の損傷部位、その意欲的で安定していた精神状態から示されるというのである。

これに対して被告は、右事故は、廣の飛び降り自殺によって発生した旨主張する。そして、このことは、本件窓の空間部最下点は本件ベッドのマットの上端から一八センチメートルの高さがあったから、下半身麻痺の者がその意志によらずにこのような障害物を乗り越えることは物理的に不可能で、また、精神面においても原因不明の下半身麻痺に陥った廣は事故直前には極度の不眠状態にあり、発作的に自殺した可能性があるというのである。

3  事実関係及び判断

(一)  そこでまず、廣の死亡前後の客観的な状況について検討するのに、証拠〈省略〉、弁論の全趣旨及び争いのない事実によれば、次の事実が認められる。

事故発生の際の本件ベッド周辺の状況については、本件ベッドが本件窓の下の壁に縦方向を接着させて設置されており、ベッドの頭方向(東側)の端はほぼ窓の端付近の位置にあり、本件窓はこの頭側の窓ガラスが足側に一杯引かれた状態でその開いている部分の幅が約八四センチメートルあった(足側の窓ガラスは開けられていない)。本件ベッドは上半身部分を起き上がらせることができるものであり、普段は起き上がらせた状態にしてあったが(事故の際にそのようになっていたかどうかは不明)、本件窓の開いている部分の最下点は本件ベッドのマットからせいぜい約一八センチメートルの高さしかなかった(この上に敷布団を敷き人が乗ると、その分この高低差は変化する)。

廣は、四階にある本件窓より一〇メートル余り下の地面に落下して、建物とほぼ平行に、頭を本件ベッドの頭側の方向(東側)に向けて、あおむけの状態で横たわっていた。頭の中心点は、建物から約1.9メートル南寄りに離れており、本件窓枠の東端(ベッドの頭側)から下ろした垂線よりやや西側(ベッドの足側)寄りにあった。なお、廣が横たわっていたのは東西方向に設置された溝をふさぐ鉄板の上であり、その南北はコンクリートの地面であった。

廣の死体の主な損傷は、おおむね、次のとおりである。まず、骨折をみると、頭蓋骨骨折、左鎖骨骨折、左第八肋骨骨折、左骨盤骨折、右第二ないし第一〇肋骨骨折が生じている。次に、その他の損傷については、左第一指先端内側挫創、右肘頭部挫創、右肩峰部から右肘頭部にかけて皮下出血、右側胸部から右側腹部にかけて皮下出血、頸部・胸部の皮下気腫、内蔵破裂、下腹部気腫、腹腔内出血が生じている。これらの主な損傷の特徴は、上半身に頭部から骨盤にわたって損傷が生じていて下半身にはなく、しかも、左右ともに損傷が生じている点にある。

廣は、右足は全く動かず、左下肢は回復してきてはいたもののなお麻痺のある状態であったから、このような状態で飛び降り自殺をした場合の損傷は次のような位置に生ずるものと考えられる。すなわち、ベッド上を両手ではってそのまま飛び降りたり、いったん窓に腰掛けて頭から飛び降りたりした場合には、頭部、頸椎、胸部に外傷が生じ、窓に腰掛けて足から飛び降りた場合には、足根部、腎部等に外傷を生ずる。本件窓から地面に至る間に、体に触れるような障害物はなかった。

なお、廣は、右のように両下肢に麻痺のある状態であったため、当初は本件ベッドの足元のさくにさらしをくくりつけて、これを両手でたぐり寄せてベッド上に起き上がるようにしていたが、平成元年八月二六日には親戚の藤崎八百喜にさらしの巻き方を変えてもらった。すなわち、ベッドの頭側と足側の両方のさくの窓寄りにさらしをくくりつけてもらったのである。以上の事実が認められる。

ところで、医師上野正彦による鑑定(これに同証人の証言を加える)の骨子は、次のようなものである。①廣は、ベッド上で何らかの動作中に体を支えていた手がすべるなどして、窓の外の方向に弱い力が働いて、上半身から窓の外に飛び出し、ほぼ水平の状態で地面に落下した。そして、まず、左側面が地面にたたきつけられ、回転して今度は右側面が地面にたたきつけられて、建物から1.9メートル離れた地点に静止した。②下半身不随の者が飛び降り自殺をした場合には、どのような態様でも、建物に沿って落下することになるため、体の回転を考慮に入れても、静止位置が建物から1.9メートル離れた地点であることとは矛盾する。③また、廣に生じた損傷状況も、①の落下態様を支えるものであって、飛び降り自殺をした場合のそれとは矛盾するというのである。

そして、右認定事実をもとに、右鑑定について検討を加えると、廣に生じた主な損傷は、上半身を頭部から骨盤にわたって、しかも、左右ともに生じていることから、右鑑定にいう着地状況に沿うものであり、頭部、頸椎、胸部を中心に損傷が生じたり、足根部に損傷が生じたりする下半身麻痺の人の飛び降り自殺の場合とは矛盾するものというべきである。また、廣が横たわっていたのが建物から約1.9メートル離れた地点であることから、廣が窓の外に飛び出す際には、右鑑定のいうように、窓の外の方向に弱い力が加わっていたものと推認することができる(これに対して、下半身麻痺の人が飛び降り自殺した場合には建物に沿って落下するものと考えられる)。

もっとも、①窓の開いていた幅は八〇センチメートル余りであり、廣の体は上半身から窓の外に出たとすると、なぜ廣の着地時には、体がほぼ水平で、かつ、建物とほぼ平行になっていたのか、②ベッドの頭側の端は窓の端付近にあり、窓の外の方向に力が働いて廣が頭側から飛び出しているのに、なぜ、廣の着地点の頭の位置は窓の端から垂線を下ろした付近となっているのかは問題である。しかしながら、前記推論過程の確かさと右各問題点の程度とを対比し、また、同証人が、このような窓の開き方のもとで外向きに働いた力は弱いものにすぎず、かつ、廣が窓の外に出てからもがくうちに、右のような着地状況になったものと考えられる旨証言することをも併せ考えると、右各問題点によって右鑑定の証明力を減殺するには至らないものというべきである。

(二)  そこで次に、廣の精神面についてみることにする。

(1) たしかに、証拠〈省略〉、弁論の全趣旨及び争いのない事実によれば、次の事実が認められる。

まず、廣は、次のような経過で原因不明の両下肢麻痺の症状を呈していたものである。すなわち、廣は、平成元年六月上旬ころゴルフをしていたところ腰痛が起こり、近くの病院で治療を受けていたものの症状が軽快せず、同年七月下旬ころから歩きづらくなり、両下肢に力も入らなくなり始めたが、同年八月上旬に至り、この状態が急に悪化し、入院直前には立ち上がれなくなった。そこで、同月一〇日に近森病院に入院し、その際には両下肢中等度麻痺、膀胱直腸障害の症状があり、起立したり自力で排便したりすることができない状態であった。その後、同月一四日には、左足は動かすことができたものの、右足は全く動かせなくなり(右下肢麻痺)、同月一八日には左下肢も麻痺に陥ったが、同月二六日ころには左下肢は相当に回復した。腰から下は無感覚で、尿はカテーテルを使って導尿し、大便はいつの間にか排便しているという状態でおむつを当てていたが、上半身には全く異常がなく、意識もはっきりしていた。入院時に脊髄造影撮影(ミエログラフィー)を実施したのをはじめとして各種検査を実施したが、廣の症状についての原因は不明であり、同月三〇日には再度のMRI検査をする旨告げられていた。

廣は、死亡前日の平成元年八月三〇日には自分でカテーテルを使用した導尿ができるようになっていたが、導尿は一日三回(八時間間隔)、その都度カテーテルを挿入してするのが通常であるため、廣に対してもそのような指導がされていた。ところが、同日から翌三一日にかけての夜間には、廣は看護婦に対して頻繁に尿意と腹部不快感を訴えた。すなわち、三〇日午後四時ころに看護婦によって導尿をした後、午後八時ころには自分で導尿し、午前〇時ころにも自分で車いすに降りて導尿したが失敗して下着等を汚したため、看護婦によって導尿した。午前二時ころにも導尿したいと訴えたが看護婦から早すぎるので様子をみるように指示され、午前二時一五分ころにはナースコールをして車いすをベッドの横に置いてくれるように頼み、午前二時三〇分ころには車いすで病室から約一〇メートル離れたトイレまで行き、その付近で会った看護婦に導尿したいと訴えたが、看護婦から、膀胱の許容量、導尿の時間間隔、導尿による感染等の副作用の説明を受けて見合わせるように説得された。しかし、廣は直前の導尿時期について明確な答えをしなかったため、看護婦からはいつものしっかりした廣とは違うと受け止められた。午前二時四〇分ころには車いすに座って導尿をしようとして、カテーテルを落とし、これを洗うための洗面器の水をまけてしまったため、ナースコールをし、午前三時ころにも導尿をしたいと訴えたが、導尿は翌朝まで見合わせるように説得を受けた。午前三時四五分ころ、「起こして」と言ってナースコールをしたが、看護婦から、「まだ夜中を過ぎたところだから、寝ないといけないですよ。ここは六人部屋だし。みんな寝ていますので、夜が明けるまで寝ましょう」と言われ、看護婦は、「車いすはここに置いておくからね」と言って車いすをベッドわきに置いて退室した。それ以後、ナースコールはされず事故の発生に至った。

右認定事実によると、廣は突然発生した両下肢麻痺の原因が不明であったため、不安感を抱いて日々を過ごしていたところ、死亡直前には、午前〇時ころに導尿をしたのを最後に、それ以後は排尿することができないまま、腹部不快感と尿意を何とか解消したいと頻繁にナースコールをしては看護婦に導尿をしたいと訴えたのであるが、看護婦からは何度も見合わせるように指示を受け、午前三時四五分ころに看護婦に六人部屋だから寝るようにと促された後は、事故の発生する午前五時二〇分ころまでの間、襲ってくる尿意と闘いながら一人もんもんとした夜を過ごしていたことが推認できる。

(2) しかしながら、証拠〈省略〉、弁論の全趣旨及び争いのない事実によれば、次の事実もまた認めることができるのである。

平成元年八月二五日に前日実施したMRIの結果、腫瘍がある疑いが生じ、担当医師から廣に「脊髄を押さえつけているようなものがあるから、脊髄造影をしてみましょう」と説明した。同月二九日に脊髄造影撮影を実施した結果、同月三〇日に腫瘍がないことが明らかとなり、担当医師から廣に、この結果を伝えたうえ、「明日、造影剤を使ってMRIを撮りましょう」と説明し、廣の同意を得ていた。

廣の入院中の行動等についてみると、死亡前日までこまめに日記を付けており、ほぼ毎日、親戚、友人、知人の見舞いを受け、他の患者や看護婦にも語りかけていた。ベッドのさくには、さらしをくくりつけてもらって、可能な限り介助なしで動作をしようとし、導尿も訓練して自分でできるようになっていた。廣は信仰があって常日頃、自殺がよくないことを周りの者にも説いており、また、もとクラシック・ギター等の製作者として有名であったが、携帯ラジオやヘッド・ホーンを買い求めて、好きなクラシック等の音楽も楽しんでいた。なお、死亡前夜を除いては、睡眠に障害があった形跡はなく、食欲もあった。

右認定事実からは、廣の病状については原因不明とはいうものの、闘病期間はいまだ短く、日常の行動からも、闘病への意欲がみられる状況にあったものである。

(三) 以上を総合すると、前記鑑定の結論を採用するのが相当であり、廣は次のような状態で、転落したものと認定することができる。すなわち、廣は、原因不明の両下肢麻痺に罹患して不安感はあったものの、闘病に意欲を燃やしていたところ、死亡前夜には、腹部不快感と尿意に襲われて、頻繁に看護婦にこれを訴えたけれども、カテーテルによる導尿を頻繁にすると副作用もあるため導尿を見合わせるように勧められ、尿意に苦しんでもんもんとした夜を過ごすうち、ベッドにくくりつけたさらしをたぐり寄せるなどして何らかの動作をした際に、体勢を崩して窓の外の方向に弱い力が働き、窓の外に飛び出して転落したのである。

三  請求原因3(責任原因)及び抗弁1(過失相殺)について

1  責任原因について

原告らは、本件事故は、被告の占有する近森病院の建物の設置もしくは保存の瑕疵によるものであり、また、廣と被告との間の医療契約における安全配慮義務違反の債務不履行に基づくものである旨主張するので、この点について検討する。

前認定事実、証拠〈省略〉、弁論の全趣旨及び争いのない事実によれば、次の事実が認められる。すなわち、廣は、両下肢麻痺のために入院していたが、同人が使用していた本件ベッドは本件窓の下の壁に縦方向を接着させて配置されており、本件ベッドのマットと本件窓を開けたときの空間部分とはせいぜい約一八センチメートルの高低差しかなく、本件ベッドの窓側の手すりは取りはずしてあり、本件窓にも格子や手すりは取り付けられていなかった。夜間には冷房装置のスイッチが切られてしまい、また、廣は自力で排便ができないためおむつを当てており、当夜も失禁した。廣は、可能な限り自力で動作をするために、ベッドの頭側と足側のさくにさらしを親戚の者にくくりつけてもらっていた。以上の事実が認められる。

ところで、人の診療に当たる病院においては、患者の生命、身体の安全確保をはかるべき義務があり、本件のように両下肢麻痺で入院している患者の場合には、その使用するベッドは、窓から離して配置するか、窓に接して配置する場合には窓ないしベッドに手すりを設置するなどして物的設備を安全に整えることにより、同人が窓の外に転落する事故を防止すべき義務があるものというべきである。

それにもかかわらず、右認定事実によれば、本件では、近森病院を経営してこれを所有・占有する被告は、廣が両下肢麻痺で入院しているのに、右義務を怠り、本件ベッドをこれと高低差があまりない窓の下に接して配置し、ベッドにも窓にも手すりを設置していなかったのである。

したがって、本件病室はこれが通常備えるべき安全性を欠いていたものというべきであり、工作物の設置・保存の瑕疵がある。

2  過失相殺について

被告は、本件事故の発生には、廣の次のような過失も原因となっているとして過失相殺の主張をする。すなわち、廣が本件窓を開けた点、看護婦の度重なる注意にもかかわらず就寝しなかった点、転落の危険を作出、増大させる体勢をあえてとった点、看護婦を呼んでこのような体勢をとることを回避しなかった点に過失があるというのである。

そこで、前認定事実をもとに検討するのに、南国高知の八月の酷暑の最中、夜間には冷房装置のスイッチも切られており、導尿に失敗した尿や失禁した大便のにおいが残っている状況下では、窓を開けたことが患者の過失であるということはできない。

看護婦の度重なる注意にもかかわらず就寝しなかった点については、カテーテルによる導尿は翌朝まで見合わせるように看護婦から言われて、廣は腹部不快感と尿意に苦しみながら眠ろうにも眠れない夜を過ごしていたのであり、この点をとらえて過失があったということはできない。

転落の危険を作出、増大させる体勢をあえてとり、看護婦を呼んでそのような体勢をとることを回避しなかったとする点について検討する。廣には両下肢麻痺があって自由がきかないためこれを治療すべく被告経営の病院を頼り、それでも独力でできる範囲のことはしようとベッドのさくにさらしをくくりつけて起き上がるなどして闘病生活を続けていたものであり、これらのことを被告病院関係者は承知のうえで、窓との高低差のあまりない状態でベッドを窓の下に接して配置したままで、ベッドや窓に手すりも設置していなかったものである。たしかに、廣が転落した原因としては、さらしをたぐり寄せて起き上がろうとした際、又は窓を開けようとした際、あるいはカーテンを開けようとした際に左右いずれかの手がすべるなどしたことが考えられる。しかし、患者を預かってその生命、身体の安全を守るべき病院関係者に右のような基本的な義務違反がある状況のもとで、体の自由のきかない患者がこのような行為に及んだからといって、これをその不注意に帰せしめることはできないものというべきであり、このことは看護婦を呼んでこのような体勢をとることを回避すべきであったとする主張にも当てはまる。

以上によれば、廣に過失を認めることはできず、被告の過失相殺の主張を採用することはできない。

四  請求原因4(損害)及び抗弁2(損害の填補)について

1  死亡による逸失利益について

(一)  原告らは、逸失利益について、廣の死亡時の高卒男子の平均年収三一九万円余りに老齢厚生年金及び普通恩給を加えたものをもとに計算すべき旨主張する。

(二)  しかしながら、証拠〈省略〉によれば、廣は二男の原告文雄が経営する会社の経理担当として現実に勤務しており、年収一二〇万円の支払を受けていたことが認められ、これを超える収入が得られる蓋然性があったことを認めるに足りる証拠はない。したがって、計算の基礎とする収入としてはこれを用いるのが相当である。なお、被告は、廣が下半身麻痺の状態にあって収入を得られる見込みがなかった旨主張するけれども、この状態にあったのはいまだ短期間にすぎないから、この主張は採用しない。

また、証拠〈省略〉によれば、廣は老齢厚生年金を年一五四万二九〇〇円、普通恩給を年四六万三二〇〇円受給していたことが認められる。

廣が死亡当時七一歳であったことは当事者間に争いがなく、その平均余命が一二年であることは当裁判所に顕著であり(平成元年簡易生命表)、その二分の一である六年間は就労可能であったと解される。

扶養家族として原告らの主張どおり妻の原告榮子がいたことから〈証拠略〉、生活費控除率は四〇パーセントとみることができ、新ホフマン係数により中間利息を控除すると、廣の死亡による逸失利益は、次の計算式により、一四七八万八〇三九円となる(以下の計算においては、すべて円未満を切り捨てる)。

{120万円×(1−0.4)×5.1336}+{(154万2900円+46万3200円)×(1−0.4)×9.2151}

2  死亡による慰謝料について

前認定事実によれば、廣は原因不明の両下肢麻痺に陥りながらも希望を失わず、意欲的に闘病生活を送っていたのに、当夜には腹部不快感と尿意に苦しみながらもんもんとして過ごすうち、意外にも窓の外に転落し地面にたたきつけられて死亡するという事態に遭遇したのであり、しかも、このような事態を回避するには病院関係者の一挙手一投足の注意で足りたのである。さらに、証拠〈省略〉によれば、廣の長男原告公一は被告理事長と高校の同期生であったことから、同人を信頼して廣の診療を近森病院にゆだねたにもかかわらず、本件事故後、被告関係者からは何の説明もなく、廣の通夜、葬儀にだれも出席せず、遺族の心情をくんだ対応はされなかったことが認められる。

以上の諸事情からすると、廣の死亡により原告らの被った精神的苦痛は甚大であり、これを評価すると、妻の原告榮子につき一二〇〇万円、子の原告公一及び同文雄につき各六〇〇万円とするのが相当である(親族関係は争いがない)。

3  葬儀費用について

証拠〈省略〉によれば、原告らが廣の葬儀費用として一二〇万円を下らない金員の支払を余儀なくされたことが認められる。

4  損害の填補について

次の事実は当事者間に争いがない。すなわち、原告榮子が平成元年九月から口頭弁論終結の日である平成七年二月一五日までの間に受給し、又は受給することが確定した年金額は、①遺族厚生年金五三六万六九〇〇円、②恩給扶助料二四七万六一〇〇円である。原告榮子は、右遺族厚生年金を受給することになったため、③自己の老齢厚生年金を右期間で九二万七五七五円減額された。①と②の合計から③を差し引くと、六九一万五四二五円となる。

ところで、原告らは、右を損益相殺することを争うけれども、これは廣が本件事故で死亡したことによって原告榮子が受給するものであり、前記逸失利益と右各給付との間には同一性が認められるから、右給付額を原告榮子の逸失利益から損益相殺すべきものと解される。

5  弁護士費用について

以上の諸事情によれば、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、三三〇万円が相当である。

6  相続関係について

原告らは廣の相続人として、右逸失利益、葬儀費用及び弁護士費用についての損害賠償請求権を、妻の原告榮子二分の一、長男の原告公一及び二男の原告文雄各四分の一の割合で承継した(相続関係は争いがない)。

7  以上によれば、各原告の損害額は次のとおりとなる。

原告榮子 一四七二万八五九四円

{(一四七八万八〇三九円+一二〇万円+三三〇万円)÷二}+一二〇〇万円−六九一万五四二五円

原告公一及び同文雄

各一〇八二万二〇〇九円

{(一四七八万八〇三九円+一二〇万円+三三〇万円)÷四}+六〇〇万円

五  結論

よって、原告らの本訴請求は、原告榮子について一四七二万八五九四円、原告公一及び同文雄について各一〇八二万二〇〇九円、及び右各金員に対する主文の遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官楠井敏郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例